弥生時代の歴史まとめ

弥生時代の歴史まとめ

弥生時代の歴史まとめ

このサイトでは、弥生時代とはいつ始まりいつ終ったのか、何をもって弥生文化というのか、弥生人の政治、外交、生活、などなど、弥生社会を構成する様々を紹介していきます。

 

弥生時代の日本にはまだ文字がなかったので、日本から出た史料だけで社会の全容はつかめません。頻繁に交流していた中国の歴史書に登場する日本(倭国)に関する数少ない記述と、国内外の遺跡から出る様々な遺物から当時の実態を推察し、復元していくしかありません。

 

今でも人類学、地理学、動植物学、建築学など様々な角度から、研究が進められており、まだまだ謎が多い弥生時代ですが、だからこそパズルを解いていくような面白さがあります。皆さんにそんな面白さを少しでも共有してもらえれば嬉しいと思っています。

 

弥生時代の基本を抑えよう

水田稲作の伝来


弥生時代には、お隣の中国大陸より、水田稲作が伝わり、日本人の食生活に大きな変化をもたらしました。それまでの動物を狩ったり木の実を採集していた生活から、自分で稲を育ててお米を収穫する、という自給自足する生活に移ったのです。

 

稲作方法の変化

前期は低湿地(いわゆるジメジメした土地)を使った湿田が、後期からは川から水をひく「灌漑施設」が作られ、乾いた土地を利用する乾田が主流になりました。

 

そして稲作に用いる農具は、木製(前期)から、金属器の伝来により鉄製(後期)へと変化しました。

 

 

金属器の伝来


弥生時代には、鉄器青銅器という2種類の金属器がほぼ同時に伝わりました。金属器の登場で、それまで使われていた石器はだんだんと使われなくなりました。

 

鉄器と青銅器ではそれぞれ性質が違うため、各々に合った使われ方がしました。

 

  • 鉄器の使われ方…強度が強い金属。鉄剣、矛といった武器、鋤(すき)、鍬(くわ)といった農具など、主に利器として使われた。
  • 青銅器の使われ方…鉄器より強度が弱い金属。銅鐸(たく)、銅鏡、銅剣など祭祀専用の政治的器物に使われた

 

 

弥生土器の出現


縄文時代に使われていた縄文土器は姿を消し、弥生土器が登場します。縄文土器にはない弥生土器の特徴として、シンプルなデザイン/赤褐色/薄手/丈夫というのが挙げられます。

 

また用途の違いとしては、縄文土器は祭祀に使われる宗教的器物という側面が強かったのですが、弥生土器はお米の貯蔵や、食料を盛るための高坏など生活的なことに使われました。

 

 

ムラ/クニの発生


弥生時代になり、集落(ムラ)と呼ばれる数十〜数百でなる人々の共同体が誕生しました。水田稲作の伝来で、日本人の生活は、狩猟採集中心の生活から、自給自足の生活にシフトしましたが、効率的・安定的な稲の収穫には人手が必要なので、稲作の知識を持つ者をリーダー(族長)とし、集団で暮らすようになったのです。

 

そしてその集落(ムラ)には環濠(かんごう)集落高地性(こうちせい)集落という2つのタイプがありました。

 

  • 環濠集落…外敵の侵入を防ぐため、溝(2m以上)でムラの周りを囲んでいる。(例:吉野ヶ里遺跡(佐賀)、唐古・鍵遺跡(奈良)
  • 高地性集落…外敵に対処しやすい見晴らしの良い山頂・丘など高いところにある。(例:紫雲出山(しうでやま)遺跡(香川)

 

 

戦争の発生


環濠集落や高地性集落といった、外敵の侵入を意識したつくりは、弥生時代になり戦争が始まった証拠の1つとされています。

 

実際、弥生時代の遺跡からは、明らかに殺傷目的の大きな武器や、その武器で傷を負い命を落としたとみられる人の人骨も出土しています。

 

戦争の要因

集団と集団の抗争が勃発するようになったのは、農耕社会の成立と同時です。これは水田稲作の普及により、稲作に適した土地や水利をめぐって対立が生じるようになった為です。持つ者持たざる者という富の格差も顕在化し、富の奪い合いも発生するようになりました。

 

 

クニの発生

ムラ同士の争いが続いていくと、勝ったムラが負けたムラを従わせ大きくなっていき、クニ(小国)と呼ばれるさらに大きな共同体が生まれました。

 

そしてムラの戦争や祭りを指揮していた族長は、クニの政治的な支配者「王・女王」と呼ばれる存在となりました。

 

また生口(せいこう)と呼ばれる戦争奴隷が生まれ、クニの有力者(大人)とそれ以外の者(下戸)が生まれ、共同体の中の身分差が顕在化していきました。

 

 

埋葬方法の変化


縄文時代までは、肘や腕を折り曲げた状態で埋葬する屈葬が一般的でしたが、弥生時代になり肘や腕を伸ばした状態で埋葬する伸展葬が主流になりました。

 

また身分の高い人のお墓ほど、豪華な副葬品が見られ、ムラの中心に近い位置に埋葬されるという傾向もあります。こういった埋葬方法の変化は、身分の差の顕在化と同時期に見られるようになります。

 

 

中国の歴史書に見る倭国


弥生時代の日本と中国は、互いに使いを送り合っていました。中国の歴史書には、当時の日本(倭国)についての記録が残っています(日本にはまだ文字が普及してませんでした)。中でも『漢書』地理志、『後漢書』東夷伝、「魏志」倭人伝3つの歴史書が重要です。

 

  • 『漢書』地理志(かんじょちりし)

    【重要ワード…倭(わ)/朝貢(ちょうこう)/前漢(ぜんかん)】

  • 『後漢書』東夷伝(ごかんじょとういでん)

    【重要ワード…奴国(なこく)/光武帝(こうぶてい)/金印/志賀島(しかのしま)/漢委奴国王】

  • 『魏志』倭人伝(ぎしわじんでん)

    【重要ワード:三国時代/魏/帯方郡/卑弥呼/邪馬台国/親魏倭王/銅鏡/壱与】

 

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