弥生時代の政治の特徴

弥生時代の政治の特徴

弥生時代の政治の特徴

戦争

大陸より水田稲作がもたらされ、稲作の知識に富む者を指導者とした集落(ムラ)が成立しました。しかしやがて稲作に適した土地や水利を巡り、ムラ同士で争うようになりました。勝ったムラは負けたムラを吸収し、さらに大きな共同体クニが成立しましたクニ同士の戦争も繰り返され、共同体の統一が進んでいきました。

 

 

祭祀

クニの指導者は巨大な権力を持ち、死んだ際にはその地位に見合った大きな墓(墳丘墓)が作られました。高い身分の者ほど豪華な副葬がついてきました。祭事に用いられる祭器であると同時に、権威あるものに与えられる政治的な器物だったのです。

 

身分制度

戦争が起こるようになると、勝った方、負けた方で身分の差が生まれ、身分制度ができた。最高身分には王がおり、 その下に大人、下戸、奴婢などがいた。王の選定は血統主義ではなく、そのコミュニティの支配者層で最もふさわしいものが選ばれていたと考えられている。

 

外交

弥生時代、日本は中国に頻繁に使いを送り、貢ぎを行なっていた。後漢書東夷伝には紀元後107年、倭の名の国の王・帥升(すいしょう)がやってきて、皇帝に奴隷160人を献上したことが記述されている。このような豆な外交は、中国の強大な力を後ろ盾に、自国の勢力を維持・拡大することが目的であったと考えられる。

 

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