弥生時代の中国の王朝

弥生時代の中国の王朝

弥生時代の中国の王朝

水田稲作を生活の基盤とする弥生社会は紀元前10世紀頃幕を明けました。しばらくは北部九州にとどまっていた水田稲作は、紀元前4〜3世紀頃、日本列島全体へと急速に広がっていきます。

 

この時期、高度な稲作技術を持った渡来人が、朝鮮半島・中国大陸より大挙したためです。当時の中国大陸はいくつかの国が支配しており、おのおの皇帝を立て、他国を牽制していました。渡来人はそんな中国大陸の覇権争いから逃れるために海を渡ってきた人々といわれています。

 

中国王朝同士の戦争と、弥生社会の成り立ちは深い関係にあるのです。しかし弥生時代の古代中国には、どのような王朝が存在したのでしょうか。ここではその点にフォーカスしていきたいと思います。

 

秦王朝

前221年、長年の勢力争いに打ち勝った王朝です。史上初めての統一王朝を実現させました。

 

前漢・後漢王朝

前206年、秦帝国が滅んだ後は、前漢が統一王朝として西暦8年まで君臨しました。その後、前漢にとってかわった新王朝は長続きせず23年に滅亡し、後漢が建国。後漢は220年まで存続しました。後漢時代の倭国(日本)ついては、『後漢書東夷伝(ごかんじょとういでん)』の中で以下のように記されています。

 

建武中元(けんむちゅうげん)二年、倭の奴国、奉貢朝賀(ほうこうちょうが)す。使人自ら大夫(たいふ)と称す。倭国の極南界なり。光武(こうぶ)賜ふに印綬を以てす。

 

意訳すると、「西暦57年、倭の奴国の王は、後漢に使いを送り貢ぎ物をし、後漢の光武帝は奴国の王に金印を贈った。」と書いてあります。

 

この金印は1784年志賀島(福島県)で発見され、現在は福島市博物館に保管されています。金印の印面には、漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)」と文字が刻まれています。

 

魏王朝

220年後漢が滅亡した後は、魏・呉・蜀の三国が君臨する三国時代となりました。邪馬台国の卑弥呼が使いを送ったのは魏の王朝です。卑弥呼は朝貢の見返りとして、親魏倭王の称号と金印、銅鏡100枚を贈られています。

 

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