弥生時代に初めて戦争が起こった原因とは

弥生時代に初めて戦争が起こった原因とは

弥生時代に初めて戦争が起こった原因とその証拠

弥生時代は、集団と集団の大規模な抗争が日本で初めて観測された時代です。戦争発生までのプロセスは、おおむね以下の通りです。

 

  1. 農耕集団の成立
  2. 農地の開発・拡大
  3. 土地や水利を巡る他集団との対立
  4. 政治的解決手段として戦争勃発

 

1.農耕集団の成立

大陸から日本に水田稲作が伝わると、効率的・安定的な稲の収穫の為に、人々は集団で暮らすようになりました。稲作の知識を持つものを中心とした政治的共同体(ムラ)が成立します。

 

2.農地の開発・拡大

食料供給が安定し、人口が増えてくると、既存の農地では足りなくなってきます。人々は農地の拡大・開発を進めました。

 

3.土地や水利を巡る他集団との対立

農地の拡大・開発を進める中で、稲の生育に適した土地や水利を巡り、他の集団と対立します。

 

4.政治的解決手段として戦争勃発

話し合いで問題が解決しない場合は、武力でもって解決したというわけです。負けた共同体は勝った共同体に吸収され、さらに大きな共同体(クニ)が出来ました。

 

水田稲作の伝来で、人々は自然に依存せず自分で食料を生み出す手段を得ましたが、副作用として戦争が起こるようになってしまったのですね。農耕社会が生んだ矛盾といえます。

 

戦争が起こった証拠

争いが増えた痕跡は、弥生時代の遺跡に見ることができます。集落の周囲を溝(堀)で囲ったり(環濠集落)、集落を高い所に作ったり(高地性集落)など、明らかに外敵の侵入を意識した作りになっているのです。

 

出土した武器を見ても、縄文時代の鏃(やじり)と比べ、弥生時代の鏃はかなり大きめに作られており、殺傷を目的とした利用が増えたことを如実に示しています。

 

日本最古の戦死者は、糸島氏新町遺跡の支石墓で見つかった男性の遺体です。16pもの石の鏃(やじり)が左大腿骨に突き刺さったことが致命傷となっていました。

 

縄文時代に戦争はなかったの?

縄文時代の人骨には、明らかに殺傷されたようなものは希少です。狩猟採集が生活基盤だった縄文社会において、集団と集団が争うような事態は希だったと考えられています。(狩り場を巡る多少のいざこざはあった模様)

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