弥生時代の住居・遺跡

弥生時代の住居・遺跡

弥生時代の住居・遺跡記事一覧

弥生時代に水田稲作が伝わり、人々は効率的な稲の収穫の為に集まって暮らすようになりました。水田稲作を軸に形成されたこの政治的共同体を、一般に「集落(ムラ)」と呼んでいます。集落を構成していたのは、人々の住居となるいく棟もの住居です。弥生時代の住居の特徴は弥生時代の住居の特徴で詳しく解説しています。集落の種類と特徴集落は、平地につくられる環濠(かんごう)集落と、山や丘陵の斜面など高い場所に作られる高地...

水田稲作が日本に伝わると、人々は効率的な稲の収穫の為に集団で暮らすようになります。集落(ムラ)と呼ばれる政治的共同体が形成され、そのムラを構成していたのは、人々の生活の拠点となるいく棟もの住居です。弥生時代の人々が、雨風をしのぎ、寝食を過ごした住居には、竪穴住居/掘立柱住居/高床住居の3タイプがありました。竪穴住居の特徴掘立柱住居の特徴高床住居の特徴竪穴住居の特徴最も多い半地下式の住居です。地面に...

高床倉庫は、米などの収穫物を貯蔵・管理しておくための倉庫です。地面に柱をたて、高い場所に床をしいており、ハシゴを使い出入りしていました。食料だけでなく、農具や武器など道具衣類も収納していたと考えられています。なぜ弥生時代にになってから普及した?高床倉庫自体は縄文時代にも存在していました。しかし普及が本格化したのは弥生時代、つまり農耕社会が成立してからです。米などの穀物は風通しが良い場所に保管しない...

弥生時代になると、集落の近くのスペースに共同墓地を建設するのが一般的になりました。また縄文時代にはなかった男女の並葬もみられるようになります。弥生中期になると銅剣や道教など、青銅器が副葬されるようになり、身分差が顕在化します。祖霊信仰の強まりもあり、墓の周りでは祭祀が行なわれるようになりました。弥生後期になると墳丘墓と呼ばれる大きな墓がつくられるようになり、これが古墳時代の古墳に発展していくことに...

貝塚とは、古代の人々のゴミ捨て場のことです。名前は貝殻が大量に捨てられていたことにちなんでいます。(貝塚のことを「Shell Midden」と呼びます。)古代の人類はもともと地上の大型生物を狩っていましたが、気候変動や乱獲でそれらが絶滅・減少すると、魚や貝といった海産物を積極的に採るようになりました。貝塚に捨てられたもの貝塚から出土するのは浅海性のはまぐり、あさり、かきなどの貝殻が多いですが、貝殻...

弥生時代から甕棺墓(かめかんぼ)と呼ばれるカプセル状の棺が埋葬に用いられるようになりました。甕棺墓(かめかんぼ)の中身の保存状態は良好で、人骨のみならず、貝殻でつくられた腕輪や絹織物なども発見されています。関連記事:弥生時代のお墓(埋葬方法)の種類人骨というのは、当時の人々の姿、生活、文化などを知るのにこれ以上ない史料です。弥生人の人骨からこの時代の社会がどのような様相であったのかを探ってみましょ...

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