弥生時代に高床倉庫が普及した理由

弥生時代に高床倉庫が普及した理由

弥生時代に高床倉庫が普及した理由

高床倉庫は、米などの収穫物を貯蔵・管理しておくための倉庫です。地面に柱をたて、高い場所に床をしいており、ハシゴを使い出入りしていました。食料だけでなく、農具や武器など道具衣類も収納していたと考えられています。

 

なぜ弥生時代にになってから普及した?

高床倉庫自体は縄文時代にも存在していました。しかし普及が本格化したのは弥生時代、つまり農耕社会が成立してからです。
米などの穀物は風通しが良い場所に保管しないと、蒸れて品質が落ちてしまいます。また土壌に近いほど湿気が多く、微生物の侵食やネズミや虫などの食害にあいます。
そのため穀物を地面から遠ざけ湿気から守り、ネズミ返しなどの工夫で生物からの食害も防ぐことができる、高床倉庫の需要が増えたのです。

 

洪水対策

弥生社会の集落は様々な自然災害に直面しました。中でも多かったのが洪水とそれにともなう土石流です。高床倉庫は収穫済みの稲を、そのような水害から守ってくれます。

 

弥生人にとって洪水は天敵

地質調査によれば、紀元前2世紀に、仙台市・沓形(くつかた)遺跡で311に匹敵する大地震が起こっています。
沓形遺跡は大津波に襲われ、水田は壊滅的被害を受けたようです。その後津波に襲われた土地には海水がしみ込み、以後数十年は稲の生育に適さない場所となってしまいました。

 

高床倉庫と穀霊信仰

弥生時代の遺物には高床倉庫の絵が描かれていることが多いです。これは穀霊信仰が根強かった弥生社会において、信仰の対象となった建造物でもあったためです。
高床式倉庫に神を祀る名残が、神社の神殿に発展したと考えられています。神社の神殿はほとんど高床式なのはそのためです。

 

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