弥生時代のお米の食べ方-炊飯が主流?-

弥生時代のお米の食べ方-炊飯が主流?-

弥生時代のお米の食べ方-炊飯が主流?-

大陸からの水田稲作の伝来をもって弥生時代の幕は開けました。水田をつくり、稲を植え、収穫した穀物を高床倉庫などに蓄えるようになりました。ここまでは誰もが学校で習うことだと思います。

 

しかしここからもう1歩進んだ「収穫した米をどのようにして食べていたのか」ということは意外と知られていません。この記事ではその点にフォーカスしていきます。

 

弥生時代の米の調理法

一般的に、お米の食べ方には、水蒸気を利用した「蒸す」方法と、現代一般的な直接水にひたし火にかける「炊く」方法があります。
弥生時代は、土器に多めの水を入れ、そこに米を入れ、火にかけ炊いて食べていました。「姫飯(ひめめし)」と呼ばれる、水分を多く含む、「雑炊」や「おかゆ」に近いものを食べていたと考えられています。

 

★蒸す調理法の出現は?
水を浸透させた米を釜に密閉して蒸らして食べる、という「蒸す調理法」が出現したのは平安時代以降です。蒸した米はよけいな水分がないので、フワフワしています。炊いた場合より食感が硬めなので強飯(こわめし)と呼ばれています。平安時代の貴族は日常的に強飯を食べていました。赤飯が「おこわ」と呼ばれるのは強飯の名残です。

 

白米は贅沢品?

当時の米の生産性は今よりずっと低かったので、白米はまだ贅沢品とされていいました。そのため普段は少量の米にヒエやアワなどの雑穀を混ぜて炊いていたと思われます。
真っ白いお米を日常的に食べれたのは、上流階級の人間だけで、一般階級の人間は祭祀など特別な時に限っていたようです。

 

火のおこし方は?

竪穴住居の中央にある囲炉裏(いろり)を使って火をおこしていました。また摩擦熱を利用して火をおこす発火器を使っていました。

 

米の食べ方

弥生遺跡からは、スプーンのような木製の食器も出土しており、これで米(おかゆ)をすくって食べていた、もしくは高坏によそっていたと考えられます。魏志倭人伝には「倭人は手づかみで食べる」という記述もあるので、おそらく後者ではないでしょうか。

 

使われていた米の種類は?

アジア稲にはインディカ種とジャポニカ種に大別されますが、弥生時代日本に伝わったのはジャポニカ種です。温帯ジャポニカ種と熱帯ジャポニカ種が確認されています。

トップへ戻る