弥生時代の道具・土器

弥生時代の道具・土器

弥生時代の道具・土器記事一覧

弥生時代の前4世紀頃、日本に金属器がもたらされました。普及の本格化は前2世紀頃に始まり、四国、近畿、関東へと浸透していきます。耐久性に優れる金属器の登場で、それまで主力として使われていた石器や骨角器は姿を消していきました。関連記事:弥生時代にも石器は使われていた?金属器の種類金属器には鉄器と青銅器の2種類があります。弥生社会において、それぞれ別の使い道がなされていたことが重要です。青銅器と鉄器の違...

弥生時代は、金属器が日本に初めてもたらされた時代であると同時に、石器が使われた最期の時代でもあります。石器はサヌカイトや黒曜石などの石材で作られた道具で、人類の使用の歴史は数百万年にもおよびます。日本人にとっても、縄文時代までは狩猟・採集・調理・加工…などなど様々な場面で欠かせない日用品でしたが、前4世紀以降の金属器の普及本格化にともない姿を消していったのです。弥生前期では石器も使われていた石器は...

弥生時代になり、大陸から水田稲作が伝来し、農耕社会が成立しました。人々は農作業の効率化の為に農具を使用していましたが、前期と後期で農具の素材が変化していることは重要です。◎前期(鉄器の普及が本格化する前)⇒素材の一部が鉄素材のもの(木製農具の刃先に鉄をはめたもの)が普及◎後期(鉄器の普及が本格化)⇒素材の全てが鉄素材の農具が普及弥生後期(前4世紀)頃になると、金属器の普及が本格化し、木製農具より耐...

弥生社会というのは農耕社会であり、主食は米を始めとした穀物です。ただ米ばかり食べていたわけではなく、イノシシやシカといった動物を狩って肉も食べていました。狩りに使用した道具弥生時代は史上初めて集団と集団の抗争=戦争が起こった時代でもあります。人々は稲の生育に適した土地や水を巡り、激しく争いました。その戦争の激化とともに途上したのが武器です。弓矢や鉄剣、槍など、明らかに殺傷目的に作られた武器が出土し...

弥生時代以前に馬が持ち込まれていたのかどうか、確かなことはわかっていませんが、どちらかというと否定的な見方が強いです。弥生時代の倭国について書かれた『魏志倭人伝』には馬・牛・虎はいないと書かれています。この記述を裏付けるように、日本の古代遺跡から出土する馬骨・馬具は古くても古墳時代のものばかりです。弥生時代のものといわれた遺物もありましたが、最新の測定結果では後の年代のものが混同した可能性が示唆さ...

弥生時代の遺跡からは、指輪・腕輪・耳飾り・足飾りなど様々な古代のアクセサリー(装身具)類が出土しています。権力者の墓に副葬されていることが多く、指導者や司祭者の権威を誇示する政治的器物だったのでしょう。現代的なオシャレ感覚というより、魔除けや呪術など祭祀における象徴的装いという向きが強かったと考えられます。簪(かんざし)魏志倭人伝には「女性は後ろで髪を結っていた(婦人被髪屈)」という記述があります...

1884年東京弥生町の貝塚から、古代日本の壺が出土しました。初めは縄文土器と考えられていましたが、調査の結果、縄文土器と異なる特徴を持つ新しい時代に作られたものだとわかりました。この土器を発見された地名にちなみ弥生土器と呼ぶようになりました。ここでは弥生土器の特徴を紹介したいと思います。弥生土器の作り方土を練って器の形に成型し、それを焼き固めて作るという点では縄文土器と変わりませんが、弥生土器の場...

埴輪(はにわ)とは、古墳時代(3世紀後半から6世紀後半)特有の焼き物のことです。成型した粘土を焼き固めたものです。古墳の上に並べ立てられていました。前方後円墳の普及とともに全国に広がり、前方後円墳の消滅とともに姿を消しました。埴輪の種類埴輪は円筒埴輪と形象埴輪に大別されます。円筒埴輪円筒埴輪は円筒形をしている埴輪です。埴輪の中でも初期のもので、これが変容して形象埴輪となったと考えられています。形象...

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