弥生人の服装の特徴-普段着は貫頭衣-

弥生人の服装の特徴-普段着は貫頭衣-

弥生人の服装の特徴-普段着は貫頭衣-

弥生時代後期について書かれた魏志倭人伝には、当時の日本人(倭人)の服装についての記述があります。以下は原文(太字)と訳文です。

 

男子は成人も子供もみな入れ墨をしている。男子は冠をかぶれず、木緜の布で頭を巻き(以木緜招頭)、衣は幅広い布を(其衣横幅)ただ結び重ねるだけ(但結束相連)で縫うことはない(略無縫)。夫人は髪を結ったり(婦人被髪屈)、おさげにし、衣は単衣のようにし(作衣如単被)、真ん中に穴を開けて(穿其中央)、穴を通して着る(貫頭衣之)。

 

男性が頭に巻いていた木緜とは

男の人が頭に巻いていたと書かれている「木緜」というのは種子の白いわたから作った繊維=木綿(もめん)のことではありません。魏志倭人伝に書かれている「木緜」とはコウゾやカジなどの樹木の樹皮をから取り出された繊維のことです。弥生時代の男性は木の繊維を頭に巻いていたのですね。

 

木綿が日本に伝わるのは8世紀末の奈良時代です。

 

弥生時代の一般層の服装

原文の中にある「貫頭衣(かんとうい)」とは織布の真ん中に穴を開け、そこに頭を通して着る服で、これが弥生時代の一般層の普段着と考えられています。

 

静岡県の登呂遺跡などから織機が出土しており、その織機から織布の大きさはせいぜい30cm前後とみられています。ただこれだと身幅の半分程度の大きさなので、頭と腕を通す場所を残して、二枚の布を縫い合わせてつくられていたと考えられています。

 

衣服の素材は?

魏志倭人伝には、弥生人が蚕と桑を育て絹織物を作っていたことが書かれています。絹は戦前まで日本の重要な輸出品で、養蚕の歴史は古事記にも記述があるほどですが、弥生時代にはすでに始まっていたのですね。ただ出土品から、ほとんどの衣服には麻が使われ、絹の衣服を着ていたのは支配者層に限られていたようです。

 

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