弥生時代になぜ渡来人はやってきたのか

弥生時代になぜ渡来人はやってきたのか

弥生時代になぜ渡来人はやってきたのか

弥生文化は中国大陸、朝鮮半島から日本に移住してきた渡来人によりもたらされたものです。水田稲作、金属器、支石墓、環濠集落など大陸の先進技術を日本列島に伝え、縄文人の生活に大変革をもたらしました。

 

農耕社会の成立と戦争

弥生時代に起きた最も大きな変化として、農耕社会の成立とそれにともなう戦争の発生が挙げられます。このことは日本より早く農耕社会を成立させた中国大陸・朝鮮半島より、渡来人の流入が加速したことと深く関係しています。

 

農耕社会の成立でなぜ戦争が起きるの?

水田稲作が伝わると、人々は安定的・効率的な稲の収穫のために集団で活動するようになります。やがて大きな集落を形成し、人口が増えるとともに、土地の開発・拡大を推し進めました。そうなると必然的に他の集団との土地、水利を巡る対立が生じるようになり、集団と集団の抗争、つまり戦争が勃発するようになったのです。

 

渡来人の流入が加速した理由

前4世紀頃から中国大陸や朝鮮半島から渡来人の流入が加速しました。これは農耕社会の成立からしばらくたった大陸で、クニ同士の抗争が激しさを増していたことに原因があると考えられています。戦争から逃げてきたり、政治的な理由でクニを追われた人々が日本に殺到したのです。

 

農耕社会は人々を豊かにしましたが、同時に戦争の引き金になり人々を不幸にしる要因にもなったのです。渡来人とは、農耕社会が生んだ矛盾的存在ともいえますね。

 

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