弥生時代の人骨からわかること

弥生時代の人骨からわかること

弥生時代の人骨からわかること

弥生時代から甕棺墓(かめかんぼ)と呼ばれるカプセル状の棺が埋葬に用いられるようになりました。甕棺墓(かめかんぼ)の中身の保存状態は良好で、人骨のみならず、貝殻でつくられた腕輪や絹織物なども発見されています。

 

 

人骨というのは、当時の人々の姿、生活、文化などを知るのにこれ以上ない史料です。弥生人の人骨からこの時代の社会がどのような様相であったのかを探ってみましょう。

 

人種

弥生時代の人骨と、縄文時代の人骨とでは、明らかな形質の違いがあります。似た形質の人骨が、中国や朝鮮半島で発見されていることから、弥生系人骨は大陸由来の人々であったことがわかりました。縄文系人骨と弥生系人骨の違いについては弥生人の顔立ちや身長の特徴で詳しく解説しています。

 

信仰

鳥を抱いて埋葬された女性の人骨が発掘されています。弥生時代の人々は、鳥を神の国と現世をつなぐ使者であると考えていたといわれています。鳥の依り代(鳥形木製品)が多く出土していることも、鳥を神聖視する信仰があったことの裏付けとされます。

 

社会状況

農耕社会が成立すると、人々は土地や水を巡って争うようになりました。その根拠の1つとされるのが、武器による傷が確認できる人骨の存在です。最も早く稲作をスタートさせた北九州からは、特に多くの受傷人骨が出土しており、とくに争いが激しかったと考えられています。

 

青谷上寺地(あおやかみじち)遺跡の人骨

鳥取県の青谷上寺地(あおやかみじち)遺跡からは、大量の致命的な傷を負った人骨が発見されています。人骨は女子供、老人まで無差別であり、埋葬も折り重なって無造作に行なわれている遺跡は弥生時代の終わり(2〜3世紀)頃のもので、この時期に大規模な虐殺が行なわれたと考えられています。

 

食文化

弥生時代の遺跡、とくに壕の中からは、弥生人の糞便の化石(糞石)が出土しています。糞石からは寄生虫の卵が見つかることもあり、このことは当時の人々が野菜や魚といった食料を生で食べていたことを示しています。

 

健康状況

人口が密集していた集落では病原菌の蔓延という問題もありました。こういった遺跡では、脊柱が侵されているような人骨が見つかることがありますが、これは結核菌の侵食で起こる脊椎カリエスによる病変です。愛知県・朝日遺跡ではこのような人骨が多数見つかっており、当時かなり結核感染が広がっていた可能性を示しています。

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