弥生人の化粧や入墨の風習

弥生人の化粧や入墨の風習

弥生人の化粧や入墨の風習

顔や手、足などに白粉や紅を塗り、美しく飾る慣習は大昔からあるものです。古代エジプトでは前1200年にはすでに化粧の慣習が存在しました。

 

日本では3世紀後半の古墳時代の遺跡から、顔や身体に化粧がなされた埴輪が出土しており、今のところ、これが日本人が化粧をしていたことを示す最古の史料となっています。

 

では古墳時代の前身にあたる弥生時代ではどうだったのかというと、魏志倭人伝の中で以下のような記述が確認できます。

 

以朱丹塗其身體、如中國用粉也(身体に朱丹を塗っており、まるで中国で用いる白粉のようだ)

 

朱丹(しゅたん)、つまり赤い化粧を身体や顔に塗る風習があったようで、原料には紅花が使われていたと思われます。

 

男子は入墨をしていた

また魏志倭人伝には、倭国の男子は大人、子供問わず入墨をしていたという記述があります。

 

  • 男子無大小、皆黥面文身(男は皆、大人も子供も顔や身体に入墨をする)
  • 夏后少康之子、封於會稽、斷髪文身、以避蛟龍之害。今倭水人好沈没捕魚蛤、文身亦以厭大魚水禽、後稍以爲飾(夏(中国の王朝)の王の少康の子が、會稽に封ぜられた時、断髪して入墨をし、蛟(みずち)の害を避けたという。今、倭の漁師も好んで水にもぐって魚や蛤を捕り、身体に入墨をして大魚や水禽を避けていたが、後には飾りになった。)
  • 諸國文身各異、或左或右、或大或小、尊卑有差。(入墨は国ごとに異なり、あるいは左に右に、あるいは大に小に、階級によって差が有る。)

 

これら魏志倭人伝の記述を裏付けるように、弥生後期からは入墨を表した土偶が出現しています。このような入墨は、上記の記述にあるように漁の際、大魚を威嚇する目的に彫られたほか、成人や戦士の印に通過儀礼として与えられたものだとも考えられています。

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