弥生時代に行なわれた漁業

弥生時代に行なわれた漁業

弥生時代に行なわれた漁業

漁労は縄文時代さかんに行なわれ、海岸付近に住む人々の生活基盤になっていました。各地で発見される貝塚から、貝類、魚類、甲殻類など様々な海産物を食していたことがわかっています。しかし弥生時代になり貝塚の出土数は激減します。これは大陸から水田稲作がもたらされ、人々の生活基盤が漁労から農耕へとシフトしたためです。

 

ただ漁労という食料獲得手段を全く放棄したわけではありません。海岸像の集落からは、貝塚や銛(もり)・釣針・ヤスなどの道具類が出土しており、銛漁・釣漁といった漁労も行なわれていたことがわかっています。とくに稲作に適した土地が少ない場所では漁労に力が入れられていたようです。

 

弥生時代に行なわれた漁業の種類

弥生時代の航行技術は、海の向こうの大陸に使いを送れるほどに進歩していました。このことと水田稲作社会の成立は、日本の漁業に大きな変化をもたらしました。以下は弥生社会で行なわれていた主な漁業です。

 

遠洋漁業

外洋にしか生息しない魚(サメやカツオ、マダイなど)の骨も出土しており、弥生時代になり活動領域は外洋にまで広がっていたと考えられます。外洋に出るには、高度な専門知識を必要とすることから、稲作を行なう農民とは別に、漁労を専門とする漁師がいたと考えられます。

 

潜水漁業

外海に面した磯に生息するアワビやサザエをねらった潜水漁も行なわれていました。弥生末期の日本について書かれている『魏志倭人伝』にも日本人が積極的に潜水漁をしていたことが書かれています。また同書には、当時の男性は大人も子供も身体に入墨を彫っていたと書かれており、これは大魚を威嚇する役目を果たしていたようです。

 

タコツボ漁業

弥生時代末期の遺跡からはタコ壺も出土しており、穴に潜むタコの習性を利用したタコツボ漁もすでに始まっていたことがわかります。イイダコが主なターゲットだったようです。

 

淡水漁業

農耕社会の成立で乾田が普及し、水田や用水路が生まれたことで、ドジョウやナマズ、フナ、タニシといった淡水魚を対象とした漁労も活性化しました。淡水魚専用の筌(うけ)などの漁具も出土しています。

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